アフリカ~北海道移住 14. ドバイへ 

私が農業を始めた背景を知っていただきたくて、アフリカへ行く直前くらいから就農するまでの出来事を記載しています。しょうもない内容もかなり多いので、あまり期待せずに読んでいただけると幸いです…

(前回までのあらすじ)

あまり乗り気では無かったがアフリカに再び戻ってきた俺。

リビアで過ごし始めて数か月後、欠員がでたということで突然ドバイに転勤になった。ドバイへ行くとやはりそこは大都会、リビアのような田舎とは比べ物にはならないようなきらびやかで生き馬の目を抜くようなスピードの競争社会だった。ハイウェイを走っていたら俺が運転しているマツダの社用車をフェラーリやポルシェが当たり前のように抜かしていく。そこで一年弱過ごしたのだが、人工的な雰囲気がとにかく自分には合わなかった。同僚はおらず上司と俺と一回り年上のパキスタン人(良い人だったが)だけ、ゴルフもやらずなんらのコミュニティにも属していなかった俺は日本人の友達もできなかったので、一人の時は裏町にあるアフリカン・バーに足繫く通い、寂しさを紛らわせていた。アジア人がそこにいること自体珍しく、また俺はスワヒリ語を喋れるので、そこのコンゴ人コミュニティはいつ行っても歓迎してくれていた。一度、その日知り合ったコンゴ人の若者と意気投合し、彼の家に一泊させてもらったことがある。今考えると身ぐるみ剥がされて路上におっぽりだされても文句は言えないくらいの警戒心の無さだが、行ってみるとそこはアパートの一室で、アフリカ人、フィリピン人、バングラデシュ人、東欧人?が共同生活を送っていた。コーヒー店等、店員さんをやっている者が多かった。フィリピン鍋のようなものを皆でつつき、少しお酒を飲み、夜は2段ベッドで寝かせてもらった。下のベッドには東欧人のガリガリのおじいちゃんが寝ていた。皆出稼ぎで必死に働いて、こちらでの出費を極力減らし、できるだけ多くを母国の家族に送金している。この国では当たり前のことが、この時ほどリアルに感じられたことは無かった。 続く

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