アフリカ~北海道移住 17. 体質改善への道と、北海道へのあこがれ

私が農業を始めた背景を知っていただきたくて、アフリカへ行く直前くらいから就農するまでの出来事を記載しています。しょうもない内容もかなり多いので、あまり期待せずに読んでいただけると幸いです…

(前回までのあらすじ)

新しい会社で順風満帆のはずが、体調が優れない・・・これは何とかしなくては、と思う俺。

体質改善・免疫力アップに乗り出すことを決意した自分が決めたことは2つ、①とにかく体力をつけることと②薬に頼るのを止めることだった。これに加えて食事にも気を付けるようになり、特に腸内細菌のさまざまな働きに関心を持ち、これに良いとされる納豆などの発酵食品や食物繊維などを積極的に摂ったり、有機野菜等もたまに手を出すようになっていった。

『②薬に頼るのを止めること』を実践するのは簡単だと思われたが、まだまだ病気がちだった自分にとっては、忍耐力を必要とした。当時の自分は風邪をひくと必ずといっても良いほど副鼻腔炎、所謂蓄膿症を発症し、抗生物質のお世話になっていた。体質改善を決意した後も、風邪をひき、いつものとおり蓄膿症になった。しかしもう薬は使えない。そこで、ネットで得た知識を元に、マンションの植え込みに自生していたドクダミの葉を丸めて鼻に突っ込んでみた。家族からは当然気味悪がられたが、一応は収まったので、今でも効果はあるのではないかと思っている。この頃から除草剤がかけられていないことを確認の上、近所の河原のスギナやオオバコなどの雑草をお茶にして飲んだりし始めていた。

『①とにかく体力をつけること』を実践するにあたり、最初はジョギングをしたり市民館のジムへ行ったりしていたが、そもそも週末しか時間が取れないことに加え、生来の怠け癖が災いし、一向に成果を感じることができなかった。

丁度この頃、農業に初めて興味を持ちだしていた。毎年、子供を連れて一年に一度北海道の妻の実家へ行っていたが、北海道の雄大な自然に触れるたび、年々『いつかは北海道に戻りたい』という漠然とした思いが強くなっていっていた。そして、都内で良く開かれる移住フェアのようなところに顔を出し、北海道の企業が集まる説明会などにも時間があれば行くようになっていたのだが、今の仕事よりも魅力的な仕事は見つからず、その度にがっかりしていた。とある地元企業の社長さんと話していた時に、『最近は農業でIターンしてくる若い人もいる。ちょっと調べてみてはどうか』と言われたことがきっかけで、最初は全くピンとこなかったがなんとなく農業について調べ始め、奥深さに触れて徐々に惹かれていった。しかし、大きな不安材料のひとつが自分の体力だったのである。

何か自分を強制的に追い込まなければならないと考えた自分が出した当時の結論は、『格闘技ジムに入会する』だった。会社の近くにある総合格闘技ジムを見つけ、見学に行った。元々消防士試験に落ちるほど体力に自信が無かったことに加え、今は度重なる病気で同世代でも底辺レベルのコンディションである。ところがそんなことは忘れて、『面白そうだ』と感じ即入会、初日にはいきなり寝技のスパーリングをやらされた。動き方も何もわかっておらず、10秒ジタバタとしただけで息が切れる。まだ背の低い幼さの残る高校生にコテンパンにされ、おまけにアバラにひびが入っているような気がした。次の日、全身筋肉痛と咳払いをするだけで鋭く痛む脇腹をさすりながら海外出張に行ったのを覚えている。毎回毎回自分の限界以上の体力を使い果たし、それでもボコボコにされながら、この競技は少なくとも自分のような入門レベルだと、ひたすら自分との闘いだと悟った。1ラウンドで尽きる体力。あと少しもがけば逃げられることは自分でもわかっているが、自分に負けて動けないでいると相手から関節を極められたり頸動脈を絞められたりして一本取られる、或いはパンチやキックをもろに喰らう。毎回業務に支障が出るほどボコボコにされるためジムに行く前は大変に気が重かったが、終わった後の爽快感は心地よかった。やられないために家でも筋トレをはじめ、近所で走り込みをしたりした。夜中におっさんが住宅街を全力疾走しているのはそれなりに不気味である。そうこうしていると、自分でも気づかないうちに免疫力が上がり、ほとんど風邪などもひかなくなっていったのだった。 続く

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