アフリカ~北海道移住 13.   リビアへ

(前回までのあらすじ)

ようやく見つけた就職先。しかし、気がかりなことがあった。

すぐに転勤になるかもしれないことがわずかに心残りだったが、しかし約束は約束ってんでとりあえず入籍し、そしてささやかな式を挙げた。寅さんが好きなので友人一同が『スイカの名産地』を練習して歌ってくれたのだが、自分はトイレに行っていて聞いていなかったのは苦い思い出だ。当時の住まいは大田区の外れの西馬込で、飲み屋などもちらほらあり、中々気に入っていた。仕事はというとビジネスマナー的なものが全くわからないのでそこからの勉強だった。そのうち海外の顧客とのやり取りを任せてもらえるようになり、入社後半年過ぎたくらいだろうか、先ずリビアへ単身赴任することになった。この時すでに第1子を妻が授かっていた。その会社では新人は赴任後1年間は日本に戻れないルールになっていた。新婚ホヤホヤの妻とは離れたくないし、酒も飲めないリビアなぞへは行きたくなかった。もっと大森あたりの飲み屋でペロンペロンに酔っ払っていたい。数年前、元気よくアフリカへ行った時とは比べ物にならないくらい重い足取りで空港へ向かう。めちゃめちゃ行きたくなかったが面接で元気よく『どこでも行きます!』と言ってしまったのでしょうがない。機内で地球の歩き方(リビアについては2,3ページだったが)などを読みながらトリポリ空港に到着した。当時のリビアはカダフィ大佐が政権を握っていた。さぞかし息苦しい、そこら中に秘密警察の人たちが目を光らせているような国だろうと想像していたが、意外にそうでもなかった。油田を持っているため、当時のアフリカでは一番のお金持ち国家で、大学まで無償等福利厚生は手厚く、ガソリンも信じられない位安く、またなぜかガソリンスタンドのパンはタダだったのでよくもらってきていた。極論、働かなくても食える素晴らしい国だったのである。実際に働かずに悠々自適の暮らしを選んでいたものは一定数いた。とろんとした目つきのだらけ切った顔つきと体つきで一日中タバコを吸うかおしゃべりをするかさもなければうたた寝をする、『ああいう人になってはだめよ』と母親が子供に諭す典型のような人たちを結構見たが、幸せの形は人それぞれなのだろうと思うし、そんな人たちが存在できるということは結構良い国なんでは無いか。そんな人はタンザニアにもまあまあいたような気がする。現地の取引先の若者ともすぐに打ち解け、休みの日は一緒に遊んだりしていた。勿論言論の自由は制限されていたと思うし、酒も禁止だったが、皆こっそり闇市場で買って楽しんだりしていた。   続く

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