アフリカ~北海道移住 20.  就農を決意 北海道へ③ 時は来た!

私が農業を始めた背景を知っていただきたくて、アフリカへ行く直前くらいから就農するまでの出来事を記載しています。しょうもない内容もかなり多いので、あまり期待せずに読んでいただけると幸いです…

(前回までのあらすじ)

就農を決意した俺、しかしコロナで世間はそれどころではない!?

数年間悩みに悩んで、やはり北海道へ移住したいという思いと、農業をやってみたいという思いを止められず、就農を決意した。数年かけて10以上の北海道の市町村を周って話を聞いた。妻はそれほど乗り気ではなかったが、あまりに俺がしつこいので根負けした形だ。その際に出た条件の一つが、妻の実家のある旭川周辺なら、ということだった。旭川から30分~1時間以内程度、という条件でも5,6市町村ある。しかし、無農薬でやってみたい、と言うと役場の方針と違う、という理由で門前払いを食らうことも多く、難しさを感じていた。最後の望みをかけて当麻町に電話した。しかし時は2020年、コロナの年である。本州では他県ナンバーの車に石を投げる者が出るほど皆旅行や移動を自粛していた時期だった。しかし藁にも縋る思いで当麻町へ行き、現在の師匠を含めて数人の先輩有機農家と会って話を聞いた。この時期都心で感染が爆発しており、そんなところから良い年して農業を始めたいとかいうわけのわからない人間が急に訪れたら内心穏やかではなかったと思うが、快く話を聞かせて頂いたのだった。

町によって新規就農に対するスタンスはさまざまで、歓迎してくれる市町村にはしっかりとした研修プログラムがあり、また補助も手厚いのだが、その代わり町が敷いたレールからはみ出さないように農業を始める必要がある。そうでもない市町村はアバウトで補助も少なく自己責任でやりなはれ、という感じである。当麻町はどちらかというと後者なのだが、なぜか有機農家が他市町村に比べると多いこと、自由な雰囲気があること、面白い移住者が多いことが決め手となり、当麻町に就農することにした。

当麻町でひと夏、休暇を利用して現在の師匠のところで手伝いをさせてもらったりしていたら、とんとん拍子で住むところやビニールハウスを貸してくれる方が決まった。『時は来た』という声がした気がした。仕事が嫌だったわけではなくむしろ楽しかったが、会社に辞めることを伝えなければならない。この時とある中東の国に赴任することがほぼ決まっていたのだが、辞めて農業を始めることを皆さんに伝えると、ものすごく心配そうな顔をされ、考え直した方が良い、と言われた。君のような優秀な人材がいなくなるのは損失である、是非会社に残ってほしい、という慰留なら良いがそうではなく、お前の計画だと路頭に迷うことが目に見えているからせめてもう少し金を貯めるなり子供が成人するなりしてからにしなさい、という親心からくる、至極真っ当なアドバイスである。正直、経済性に関してはどれだけヒアリングしても未知数の部分があり、また『これを作れば楽勝で食っていける』というものも特に見つかっていなかったので、『やっぱり海外赴任して金貯めてからにするか・・・?』と真剣に悩んだ。しかし、世はコロナがまだ猛威を振るい、ウクライナでは戦争がはじまり、と激動の時代である。なんとなくタイミングを逃すと次は無いような気がした。最後は直感を信じ、10年間お世話になった会社を後にした。

家族は、妻はこのときには納得というかあきらめていた。長女は当時5年生で、卒業を皆で迎えられないのはかわいそうだし、さぞかし嫌がるだろうと思ったが、『スマホを買ってくれたらいいよー』という淡泊なリアクションであった。問題は長男である。当時2年生で、仲の良い友達と離れるのは絶対に嫌だ、と言われていた。移住の話をすると決まって『なぜお前の勝手な都合に俺が悲しい思いをしてまで付き合わなければならないのか』『お前がひとりで行け』等々ど正論を言い続けていた。俺としては家族みんなで移住しないと意味が無いし、農業を死ぬ気でやって親の背中を見せるのも教育の一つだと思っていた。引っ越しをする最後まで泣きわめいて全く納得せず、『お前のことを百生恨む(一生の百倍の意味)』という当時の彼の心情を端的に表した造語でもって俺を責め立てた。当麻町での生活は楽しそうだが、今でもたまに恨み言を言われる。

両親を置いていくのもとても悩んだ。妹が同居しているとはいえ、これまでは自分が何かあったときにすぐに駆け付けられるところに住んでいたが、北海道となるとそうはいかないかもしれない。何とか近郊で就農できないかと千葉の農家を視察にいったりもしたが、北海道へのあこがれは捨てきれなかった。毎年一度は帰省することにして自分の夢を優先してしまったが、育ててもらった恩を仇で返しているような気がして、やはり未だに心残りはある。

色々な人に迷惑をかけたり、不義理を働いた。が、せめてこれまでお世話になった人々への感謝を忘れたくない、という思いで、農園の屋号をスワヒリ語で”ありがとう”を意味する『”アサンテ”ファーム』に決めた。

2022年4月 引っ越し直後

そしてとうとう2022年4月、家族で当麻町に移住したのだった。雪がまだ大分残っている。頭上を白鳥の群れがクェックェッと鳴きながら飛んでいく。極寒の古民家の中には山のような段ボールが転がっている。新しい生活がここから始まるのだと思った。(第一部完)

アフリカ~北海道移住 20.  就農を決意 北海道へ③ 時は来た!” に対して1件のコメントがあります。

  1. 高橋衣佐子 より:

    👏👏👏👏👏
    一気に読みました。

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