アフリカ~北海道移住 10. 最幸の国 タンザニア⑦ ハムナ・シダ - 2
私が農業を始めた背景を知っていただきたくて、アフリカへ行く直前くらいから就農するまでの出来事を記載しています。しょうもない内容もかなり多いので、あまり期待せずに読んでいただけると幸いです…
(前回までのあらすじ)
バンドでツアーに行くと聞いていたら機材ごとヒッチハイクで目的地を目指すはめになった。
それでも意外に乗せてくれる車はあるもので(もちろん有料)、途中何度もヒッチハイクを繰り返し、海辺についた。ここが目的地なのかと思ったらそうではなかったようで、今度はエンジン付きのイカダをヒッチハイクして海へ向かって出発した。波に揺られて1時間ほど、着いたのはリゾート地のような小島の浜辺で、こんなところで何をするのかと思ったら何のことは無い、お金持ちの結婚式の余興で呼ばれただけだった。結婚式の前座を『ツアー』って言うな、と思ったが、まあめでたい席で争ってもしょうがない、てんでいつものようにみんなが知ってそうなやつを一通りやって、飯ぐらいはごちそうになり、夜は浜辺でみんなで野宿した。海辺なのに蚊が結構いてあまり眠れない。次の朝、ボーカルが新郎からギャラをもらって、帰りも同じ道をヒッチハイクである。今度は中々見つからず、そのうち夜になってしまい、道端で野宿か、というところだったが、交渉して始発前のバスの中で寝させてもらった。ここも蚊がひどくて寝れたものではなかった。日が昇ったらすぐにヒッチハイク、へとへとに疲れ果てて何とか授業が始まる月曜の一限目までに帰って来れてホッとした。ちなみにツアーの収支は大赤字だったらしい。

一事が万事このような感じで、行き当たりばったりでたまにひどい目にあったりするが、あまり落ち込んだりせず『ハムナ・シダ』とか言いながらのん気に生きている人(特に男性)が多いために、おおらかな土地柄なんだろうと思う。だから、待ちぼうけを食らったり、約束を破られたりしてもやられた方はあまり怒らず、また不義理を働いた方も大して悪びれずにいつの間にか仲良く過ごしている(日本人同士ならすぐ絶交、或いはSNSで炎上しそうである)。勿論都市部のイケてるビジネスマンはこんな感じでは無いし、農村にも真面目な人はたくさんいるが、自分はこの寛容・かついい加減な雰囲気が大変に気に入っていた。 続く
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