アフリカ~北海道移住 9 最幸の国 タンザニア⑥ ハムナ・シダ
私が農業を始めた背景を知っていただきたくて、アフリカへ行く直前くらいから就農するまでの出来事を記載しています。しょうもない内容もかなり多いので、あまり期待せずに読んでいただけると幸いです…
(前回までのあらすじ)
タンザニアの教育事情に触れさせていただきました。今回は自分の周りの人びとについてです。
『日本人は真面目だから』『中国人は』『アメリカ人は』というように国民性を乱暴に規定はできないと思っている。明るいイメージのタンザニア人にもおとなしいやつもいればやたらと考え方が暗いやつもいる。それでも自殺率など日本や欧米に比べて各段に低いのは、『なんとかなるだろ』の精神が根強いからだと思う。ディズニーのライオン・キングで『ハクナ・マタタ』というスワヒリ語が出てくるが、あれである(タンザニアではハクナ・マタタとは言わずに、『ハムナ・シダ』や『ハイナ・ネノ』等が使われていた)。
タンザニアでも音楽好きが高じて、タンザニア人ミュージシャンのバンドに入れてもらっていた。といっても週末外国人の集まるバーで誰もが知っているタンザニアの歌謡曲やボブマーリーなどを演奏する程度で、それだけでは到底食えないので他に仕事を持っているものが殆どだった。俺は毎週末自分の町から彼らが活動の拠点としているキリマンジャロ山の麓の町、モシまでバスで2時間ほどかけて通い、メンバーの家に泊めてもらっていた。あるとき、『力也、来週末ツアーに行くからお前の町のバス停で待っとれ。途中だから拾っていく』と言われ、時間通りに待ち合わせ場所に来たものの待てどくらせど来ない。2時間ほど遅れて、大御所ミュージシャンのような巨大なトレーラーで現れた。と思ったら、ドラムセットや楽器等の機材を下すと、うなりをあげてトレーラーは走り去った。後に残された機材の山とメンバーと俺。状況が呑み込めないでいると、『出発してすぐに俺たちの車が壊れた。よってヒッチハイクでとりあえずここまで来た。』とのこと。目的地までもヒッチハイクで行くつもりらしい。機材と人間5人を乗せてくれる車などそうそうあるのか、と言うと『ハムナ・シダ(なんとかなるだろ) 』といつもの答えだ。腑に落ちない自分をよそに、彼らは逞しく、手あたり次第トラックやバスを止めて交渉を始めた・・・ 続く
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