アフリカ~北海道移住 6. 最幸の国 タンザニア③ 山あり谷あり~ボイコット

私が農業を始めた背景を知っていただきたくて、アフリカへ行く直前くらいから就農するまでの出来事を記載しています。しょうもない内容もかなり多いので、あまり期待せずに読んでいただけると幸いです…

(前回までのあらすじ)

食べ物は最高ではないけどあるもので十分。仕事の方は…

教師経験も無く、教員免許も持っていなかったのだが、当時はタンザニアの教育レベルを舐め切っており、根拠のない自信に満ち溢れていた。しかしこれが大きな勘違いであるとすぐにわかった。タンザニアの授業計画は基本英国と一緒であり、日本なら大学レベルの単元もたまに入っていたりして、自分が知らないことを前日に必死で予習し、したり顔で次の日偉そうに教える、ということもあった。また、タンザニアでは法律で高校の授業は公用語のスワヒリ語ではなく英語を使用するものと決まっており、俺も授業を英語で行っていた。だが、当時の自分の英語レベルは惨澹たるもので、それまでほとんど海外へ行ったことも、英語を集中して勉強したことも無かったため、客観的に見て生徒の方が流暢に英語を操っていた。そんな中、着任して2か月目位だったろうか、いつもどおり教室へ行くと誰もいなかった。仕方なく職員室へ行くと、なぜか他の教員も全員集まっていた。話を聞くと、生徒側が全授業をボイコットしており、労使交渉のようなものが始まったらしい。生徒側からの要求事項は多岐に渡り、中身を聞くと『宿舎の環境改善(全寮制だった)』『毎日の飯がまずい』というものから『XX先生はちゃんと授業をしろ(教師数が足りていない上に、教師が授業をサボることも珍しくなかった)』『△△先生は話にならない、クビにしてほしい』等の個別の先生への要求もあり、笑いながら聞いていると『力也、お前のことも言われてるぞ』と同僚の教師から言われた。いやいや、俺は真面目に授業をやっておるよ、何かの間違いだろうと言うと、『新しい日本人教師は英語が下手で何言っているかわからない』という内容だった。ショックのあまり目の前が暗くなり、次の瞬間には屈辱のあまり叫びそうになったが、生徒の指摘は至極真っ当かつ自分も薄々感じていたことでもあり受け入れるしかなく、結果落ち込むしかなかった。。。 続く

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