アフリカ~北海道移住 4. 最幸の国 タンザニア① 不便な暮らし

私が農業を始めた背景を知っていただきたくて、アフリカへ行く直前くらいから就農するまでの出来事を記載しています。しょうもない内容もかなり多いので、あまり期待せずに読んでいただけると幸いです…

(前回までのあらすじ)

いよいよタンザニアへ出国した俺。アフリカでの生活に適応できるのか?

赴任したのはサメという名前の小さな田舎町の外れの中高一貫校で、俺はそこで物理と数学を高校生に教えることになった。住居は石造りの小さな教員住宅だった。水道ナシ、電気は通っているがしょっちゅう停電、トイレは外に掘った穴、という比較的タフな環境だったが、便利な日本とは何もかも違う環境が新鮮過ぎて気分は高揚していた。水を200mほど離れた井戸から汲んでこなければいけないのがやや面倒だったが、元々あまり清潔な性質ではないので水浴びの回数を2,3日に1度に減らす等しながら、不便な環境を満喫していた。

自転車で水を運ぶ様子
住居 外から見ると今の家よりきれいに見える

煮炊きも当然ガスが通っているわけではなく、毎回火をおこして炭で行っていた。着火剤などあるわけもなく、ある程度家の周りで小枝を拾っておいて、着火剤代わりに使用していた。朝などはのんびり炭で火を起こす時間は当然無いので、毎朝前夜の冷えた残りものを食べていた。暖かいコーヒーでも飲みたいところだが、家では我慢して学校で暖かいチャイ(甘い紅茶)を頂いていたので特に不満は無かった。 続く

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